性行為に興奮出来ない人間が風俗に行くとどうなるのか?(振り返り編)

風俗に行ってから数日が経過した。

可能な限りその時に感じた事をダイレクトに記すべく、前段の文章は退店してから即刻ネカフェに入り殴り書きをしたものだ。正確な会話の順序が違っていたりする可能性が高いが、それでも覚えている限りは書き尽くしたつもりだ。

 

冷静になった今、今回の体験を振り返っていく。

 

今回僕は、「風俗へ行く」というゴールを先に設定した上での行動をした。前段で詳細に書けば良かったと後悔しているが、「どうなってしまうのか?」という問いには以下の要素が内包されている。

・生身の女体を目前にした時、自分は何を、どう感じるのか?

・その結果、自分はどう行動するのか?

・経験を通して何を思うのか?

一つ一つそのフィードバックを記していきたい。

 

女体を目前にして

第1段階として、出てきたものに対して女性として認識出来るか?という点はクリア出来ていたと思う。顔や体の好みがハッキリしない中でもプラスマイナスの2択では迷いなくプラスを選べるという感覚からそこは間違いない。

 

次に、脱いだ生身の女体に対してどういう感想を持ったか?という点を振り返る。

脱がす過程では自力で日常(着衣状態)から非日常(裸)へと駒を進める感覚はあったが、いざ脱がした時は裸だな以上の感想は出てこなかった。高揚感的なものは感じていなかったように思う。

ポイントごとに見ていく。身体の各所を触る中で思ったのは、「同じ人間なんだな」というところだ。明確に男女で差がある部位以外に関しては自分と同じ人間なのでそこに新鮮味はなく、既知の感覚として受け取った。

ただ、手に関しては心に訴えかける何かはあったと思う。生きてきて手の大きさの比較以外で人の手にビッタリ触れる事がなかったので一概には言えないが、ドキッとはした。

 

今回初めてキスをした(実家の犬に舐め回されたのはノーカンとする)訳だが、ここに関しては意外と何も感じなかった。何でだろう。色々と見てるとここに重きを置いている人もいるようだし、本来何かしらの情動があってしかるべきなのかもしれないが、いざされている時は何も感じていなかった。何か感じられた方がお得だと思うので残念。自分の問題だと思う。

ただ、後になってからその感覚が時々フラッシュバックする。その感覚だけが。もしかしたら預かり知らぬところで僕の身体は喜んでいるのかもしれない。

 

当日の所感でも記したが、やっぱりおっぱいに魅力は感じられなかった。元々無頓着だったが実際に触れたらどうなるのか?というところでの検証の価値はあった。が、やっぱりダメみたい。揉んでも吸っても何だかなあという所感です。

 

今回射精まで至れた要因は100%膣内(なか)の手での触感だ。前段でグロいと断じていた物を触ったら意味が分からない勢いで勃った。指突っ込んだだけなのに。

未知との遭遇とでも言うのだろうか。

ただ、アレに突っ込んだら気持ちいいのかも知れないな、とは思った。

何をそんな普遍的なことを今更書いているの?と思われるかもしれないが、そう思えること自体が僕にとっては相当喜ばしいことなのでどうかご容赦願いたい。その可能性すら見いだせていなかったのだから。

 

今まで書いてきた文章とかを見ると察しはつくと思うが、いつの間にか僕は何事も言語化したがるような人になっていて、それが出来ていないと"理解出来ていない""腑に落ちない"と感じることもしばしばあるような人になってしまった。だけど、きっと性欲というのは理屈では無い衝動的な何かであってそこに説明は要らないんだなとこの出来事を通じて分かった。把握出来る意識と別個で自分の息子が反応しているのを見るとそう思う。

何はともあれ、僕は女体に(思考はどうあれ)興奮出来ない訳では無いということが判明しただけでもそれはあまりにも大きな収穫であり、今後まだ自分が"何か"を取り戻す余地があるという可能性が示された出来事であった、と結論づけたい。

 

自らの行動について

やることなすこと何もかも初めてで且つめちゃくちゃに緊張していたため、僕はほとんど自分で動いていない。し、何をしたら自分が興奮出来るのか?が分かっていないので何をしたらいいのか分からない。結果、最後の一手(文字通り)以外人任せにしていた。

やってみないと気付けない点なんだろうけど、多分自分の意志で動かないと自分でも何が良い(自分にとって)のか気付けないんだろうなと思った。何が良いの?何が気持ちいいの?それは相手に引き出してもらうより当然自分で探らないと分からないと思う。初めてだから仕方ないだろうが、この点は改善事項の1つだと思う。

 

後になってから感じたが、気を使ってしまっていた節も大きいと思う。距離感が分からぬ。言ってしまえば一期一会なのでそんなに気を使う必要もないはず(と思っている人が多いような印象)だが、やっぱり対人の怖さが出ているような気はした。

 

経験を通して何を思うのか?

インターネットっぽく一言でまとめてしまうと、「セックスで興奮出来ない異常性癖オタクがソープ行っておまんこに指突っ込んだだけで射精してて草」というなんともマヌケな出来事になってしまう。

が、何度でも言うがこれは僕にとっては価値のありすぎる実績解除だし、自分がオスの端くれであることを認めてくれた経験だ。

バックグラウンドがヤバいし内容も内容なので大っぴらには言えないが、間違いなく成功体験だ(性交はしてないのにね)。

素直に嬉しい。傍から見たら「ソープ行って挿れてへんの?」とか言われるかもしれないが、もうこれは僕の中では成功としてみなしている。

 

今回風俗に行って思ったのが、こんなところでも何か1歩引いて見てしまってる自分が居るという点だ。

当日に書き殴った感想もそうだが、没入しきれていない。

風俗に行く人皆がそうかどうかは分からないが、多分全力で性欲モンキーになり欲するままに女体を貪り果てるのが1番楽しめるだろう。自分がそれを出来るかどうか分からなかった状態だったのでアレだけど、もっとバカになった方がいい。僕は。

当日の感想で全く言及されていなかったが、一応相手は喘ぎ声的なサムシングは上げていた。しかしながら僕はというと(まあそういう仕事だからそうしないといけないんだろうな…)的な思考が1回回ってしまっていたため、以降耳に入っていないのだ。だから体験談の中に入っていない。起きてる事を穿った見方をせずに受け止めていない。チンチン丸出しにしてまでこれか?童貞丸出し激キモ男として振り切れよ。

とは言うものの、女体の要素で射精できた達成感に上書きされていなければ自分の情けない姿に向こう5年くらい自己嫌悪を引きずり倒していただろうし、何より初めての経験だ。初めてで、しかも前提条件として性癖がイカれてる自分にしては上手くやれたほうなのではないか。

「風俗どうだった?」と問われ一言で答えるとしたら「アトラクションだった」と答えると思う。ジェットコースターみたいに女体を案内された感覚だったので。アトラクションだからこそ、その門を叩きし者は恥をかなぐり捨て全力でアホになり楽しむべきなのだろうと。そう感じた。

別にそれは風俗に限らない。何事も楽しもうとするマインドが無いと色褪せて見えてしまうし、現に僕には世の中がそう見えている。そういうマインドが全面的に悪いと言う訳では無いが、ある程度そういう視点を持つべきか否かはコントロール出来るようになりたいなと思った。

 

最後に

いかがでしたでしょうか。

そもそも無理がある計画(?)を実行してしまいましたが、プラスの経験値を得られたように思います。

なんかこうやって一つ一つ糸口を見出せば、普通のエロ漫画とかで抜けるようになったりするかもしれませんね。一筋の光が差しています。僕に。

頭でどれほど考えてもどうしようもなかった問題がこうも単純な結果として出るものです。

何をするにも不安要素しか見いだせず、結局何も行動しないような人間がこの言葉を発するのはあまりにもお門違いですが、意外とやってみるものだな、と思いました。

捻らずストレートに言うと、面白い体験だった。

その気になったらまた行ってみたいと思う。

 

次回、童貞卒業編 いつになるかわかりませんがやろうと思います。

長々と語りましたが、以上です。

またどこかでお会いしましょう。

 

 

性行為に興奮出来ない人間が風俗に行くとどうなるのか?(本編)


神奈川県は川崎市

その遠くまで続く青空と対極のような曇った表情をした男が京急川崎駅から出てくる。

174㎝64㎏のその男は喫煙所の壁にもたれかかりながら俯いていた。

彼、他でもない僕は緊張に押しつぶされていた。

風俗という未知の領域に踏み込むことに決め勢いで予約をしたところまではよかったが、間違いなく人生で一番緊張していたし、恐れをなしていた。

嬢との1vs1で80分、僕はどうなってしまうのか。

普段は何でもない川崎の駅を降りるだけで僕の心臓のBPMは170前後まで加速していた。

 

早く着きすぎてしまったこともあり、平静を取り戻すべく煙草を吸いまくったがどうにもおさまらない。柄にもなくカフェでホットのソイラテを飲んだが、暖かいもので気持ちが落ち着くという風説は大嘘だと感じながら時間をつぶした。

1時間前の確認電話をかけてからはもうひたすら落ち着きがなくなり、店の近隣を歩き続けた。さながら回遊魚である。

多摩川と競馬場と川崎駅の真ん中あたりの街、堀之内町が今回の目的地だ。

いわゆるソープ街的な場所は横浜の福富町近辺であれば歩いたことはあるが、使用者側の目線ではなかったので普段は「あ〜あるねそういう店」的な視点で通り過ぎる。しかし今回は明確な目的を持ってソープ街を歩いている。新鮮だったと同時に不安で仕方なかった。

予約の25分くらい前に入店をし支払いを済ませた。一気に3万円が消失したことが全く気にならないレベルで不安に押しつぶされていた僕は番号札を受け取り奥へと足を進めた。風俗店の場所柄暗いところが多いようなイメージを勝手にもっていたが店内は明るく、比較的広く場所がとられている印象だった。

店内は禁煙との表示を見つけ、終わるまでの禁煙を余儀なくされた。今僕の五感で感じうるものの中で既知のものは無い。吸い慣れたロングピースがこの時ほど恋しくなったことはない。

待合室はカウンターのようになっており、壁向きに椅子が置かれカウンター上に漫画が置いてあった。当然漫画を読むような心の余裕はなく、ひたすら壁を見つめていた。よほど顔色が悪かったのか、店員が何回か僕の顔を覗き込んでいた。

カウンターの上に爪切りが置いてあったので使った。奇しくも実家とまったく同じ爪切りが置いてあり、懐かしさと少しの安心が僕の心へ流れ込んだ。

早く来すぎたこともあり結構待った。自分の番号が呼ばれるまで僕は爪を切るか壁を見つめるかの2択を余儀なくされ、さながら執行を待つ罪人のような心持ちで呼び出しを待った。

しばらくすると僕の番号が呼ばれ、店員から注意事項の説明を受けた。店員から3階に上がるよう促され、僕は階段を1人で上がることになる。

処刑台に上がる囚人はきっとこのような心持ちで階段を上がったのだろうか。

自らの意思で階段を上がる僕は枷がついているかの如く重い足取りで階段を登る。

階段を上りながら僕は思った。何故僕はこんな重い気持ちでセックス屋さんに来ているのか。せっかくなら”舞え”よと。2階を通り過ぎる頃には、”一般童貞が筆おろしをされに来た”の顔を作り上げ、覚悟を決め大地を踏みしめた。

 

ENCOUNT

3階の踊り場に人影が見える。予約した嬢だ。

普段通り俯きながら歩いている僕は上からの声に気づく。

きっとこの瞬間が博打のリザルト画面だ。恐る恐る顔を上げた。

 

おお、写真通りだ。好みか好みでないかの2択で言うのであれば、間違いなく前者。僕は女優にも声優にも詳しくないので、嬢の顔を的確に例えることはできないし、前段述べた通り好みのタイプが分からないので何とも言えないがとりあえず当たりを引いた方の部類であることは間違いないと思う。歳も見た感じ同い年位の人だったので申し分はないのかな、と分からないながらに思った。

嬢「こんにちは~」

僕「こんにちは…」

嬢が手を広げる。すしざんまいのポーズではなく挨拶のハグのようだ。留学していたころ挨拶でハグされることはあったが、同年代同士ではほとんどなかったことを思い出し恐る恐る抱きついた。

嬢「めっちゃ震えてるね」

僕「あぅ…緊張してて…すみません…」

情けない声を出していると嬢に手を繋がれ部屋へと案内された。

僕「ヤバいっすね、人の手がこんなに柔らかいとは…」

嬢「えへへ」

キモすぎか?普通にめちゃくちゃオドオドしてた。

言葉にめちゃくちゃ詰まる。いかにもウブな反応をしていたのではないだろうか。

沈黙が怖くて仕方ないタイプなので、何か言葉を発さないとと滅茶苦茶焦っていた。前述の通り多分世間一般からしたら可愛い方の顔だと思うので、とりあえず可愛いと言っておけばその後不穏な空気になることもないだろうと思い褒め倒した。あの時の自分はどんな顔をしていたのだろうか。

入室すると右手にベッドがあり左手にバスタブ、シャワー等の入浴設備があった。バスタブの前には噂に聞くスケベ椅子があり、いよいよ来てしまったのだなという心持ちになった。

僕「こういう店初めてでなんなら童貞なんです…」

嬢「え~そうなんだ お兄さんモテそうなのにね」

僕「あはは…」

嬢「おいくつなんですか?」

僕「25です…」

嬢「まだまだ若いんだからいけるよ~」

僕「まあ人間中身だからね…」

お世辞の言葉から日々もっと老いた客の相手をしていることが伺える。大変なんだろうな

 

PROLOGUE

タイマーがセットされると、嬢は僕の服を脱がし始めた。

為されるがままに僕は生まれたままの姿へと近づいていく。

ここでミス発覚。脱がされる過程でたまたま履いていた思いっきり「松茸」と書かれているパンツ(ドンキで買った)があらわになる。ちょけるつもりは全くなかったのに。

嬢「え…」

僕「あはは…適当に買ったやつです…」

嬢「男の人のパンツっていろんなのあって良いよね~」

外れ値だと思うよ。うん。

そんなパンツを下され全裸になる僕。

嬢「おけけないんだね」

僕「邪魔なんで剃ってます」

人に見せる前提で自分の体を扱っていないので、毛があるほうが一般的なのかそうでもないのかは分からない。聞けばよかったな

松茸パンツから松茸(陰茎)がまろび出たところで、嬢から嬢の服を脱がすよう促された。

いよいよ女体とのご対面というわけだ。

未だ震えが残る手でワンピースの背中のファスナーに手をかける。いわゆるバチバチなエロ下着的なものではなく、普通の下着が露になった。紫色ベースで装飾もあり、かわいいデザインだなとシンプルに思った。

お次は下着。後ろホックのブラジャーに手をかける。箸でブラジャーを外す人数のギネス記録があったななどとどうでもいいことを思い出しながら外した。

顕現するおっぱい。プロフィール上はEカップとの記述があった。

僕「おお 本物だ」

嬢は微笑んでいた。画像では見たことがあるが本物はまあ初めてだ。

続いてパンツを下ろす。

「恥丘は青かった」とでも言いたいが、いわゆるパイパンが僕の前に顕現した。

パイパンの語源は白發中の白らしい。白と違ってこちらにはスジがあるが。

僕「体きれいだね~」

嬢「これでもちょっと太ったんだよ」

沈黙を恐れる僕は褒め殺しで場を繋ぐことしかできない。形から入ることでしか体を成せない自分の情けなさから目を逸らし続けるのだ。

全裸になった状態でもまたハグをした。嬢の乳首が体に当たるのがくすぐったい。ひとしきり抱擁を交わしたのち風呂へ案内された。

 

こういうお店だからだろうが、衛生面は結構気をつけられているようで、シャワーを浴びる前にお互いうがい薬でうがいをした。一回うがいをしたところ、嬢から「もう一回できる?」と言われた。煙草で口が臭かったんだろうか。申し訳なさを感じながらうがいを2回した。

スケベ椅子に座した僕の体を嬢は手際よく洗っていく。ちょいちょいジャブのような艶めかしめの触り方をしながら。

人に体を洗ってもらうなんて子供の時以来だねなどと会話をし、体を流された。

ここで気づいたが、肩から上がまったく濡れていない。慣れているのもあるだろうが、これって結構技術がいるのではないのだろうかと思った。

うがいに加え歯磨きも済ませた僕はバスタブに入るよう促された。

嬢と二人でバスタブにつかる僕。

嬢「ちゅーしたことある?」

僕「ない…」

嬢「じゃあ、ファーストキスだね。責任重大だ」

ああ、確かに。それ以前の問題すぎて気にも留めたことはなかったが、そういうのしたことなかったな…

遠い目をしながら僕は嬢と唇を重ね合わせた。

柔らかい。

接吻の音とBGMのみが聞こえる中目を閉じ感覚を研ぎ澄ませながらその感覚を堪能した。

嬢「舌、出してみて」

僕「ん…」

いわゆるディープキス的なやつだ。

嬢と舌先を絡める。

時間が止まったような感覚だった。

続いて、僕の陰茎を艶めかしくまさぐり、股座に嬢の顔が寄る。

フェラだ。しゃぶられるみたいだ。これから。

未知の接近に僕は固唾を飲む。

嬢が僕のおちんちんを咥える。なんだこの感覚は。

吸われている。

舐められている。

僕はその技巧を全身全霊で受け止めるべくすべての意識のリソースを下半身へと集中させる。一切の雑念を排除し、すべての神経を…

…あれ?

 

暗雲

嬢「おちんちんは緊張気味かな~」

僕「どうなんだろ…」

嬢「とりあえずお風呂でよっか」

僕「はい…」

嬢に体を拭かれ、僕は戦地たるベッドへと案内された。

ベッドに仰向けに横たわるよう促される僕。

嬢が僕の横に寝そべる。

いよいよ始まるのだな、と言った感じだ。

嬢「おっぱい揉んでみて」

開戦の火蓋が切られた。

おっぱいに対するファーストタッチの感想は、柔らかいに尽きた。表面は意外と平面的なんだなと感じた。

Eカップが大きさとして上位何パーセントに入っているのかは分からないけど、とりあえずおっぱいかくありき、ということを触感として知ることは出来た。

嬢「舐めてみて」

おお、マジか

想定外の指示に若干狼狽えつつも、とりあえずパクッと行く。

…苦しい…呼吸が…

圧がスゴい。圧が…

とりあえず為されるがままにしていたがちょっと苦しかった。

「男の子はみんなおっぱいが好き」という定説はよく聞くが、実物をここまで体験した上で、僕にはこの定説が当てはまらないことが判明した。

次に嬢は僕の乳首を舐めながら手コキをした。くすぐったい。時折身体を捩らせる僕を見て嬢は微笑んだ。感覚としては足の裏をくすぐられたような感覚でチンポ方向には行かなかった。向いてないのか、それとも練習を要するものなのかは分からないが…

 

お気づきの方もいるだろうが、今のところ僕の息子が反応をしていない。数十分の触れ合い(と呼んでいいのか?)により緊張は解けていたため、精神的な要因はクリアされている。

しかし、息子の応答がない。

今のところの前段(と呼んでいいのだろうか)で僕の息子は1度も起き上がっていない。雑念はほとんど排除され、僕は今目の前で起きている”コト”以外に意識は向いていない。

しばらくしたらきっと起き上がってくれるとベッド・インの時点では想定していた。

嬢はここから様々な技法を用いて僕の息子を扱いた。

キスしながら、ローションを使いながら、時折フェラしたり、扱きそのものを僕がやったり、はたまたゴムをつけてみたり…

しかしながら、息子に応答はない。

強めに扱いてもらったりもしたが、フニャフニャだ。

 

数十分にわたりフニャフニャな僕の息子を扱き続ける嬢。時折「うーん…」と呟きながら懸命に僕の息子を扱き続けた。反応をしない息子を扱き続けるその姿はさながら救命医である。AEDを使い胸骨圧迫をし、人工呼吸をしても反応が無い。死だ。黒のトリアージタグがつけられ霊安室に運ばれるのみだ。

天面に鏡がついていたため視線をまっすぐにすると自分の体の上で蘇生が行われている景色と虚空を見つめる自分の顔が目に入る。

BGMと淫靡な音のみに支配されるその時間がどれほど続いたかは思い出せないが、僕にとっては永遠とも取れるような長さだった。

 

全然関係ないけど部屋のBGMでゴーストルールがたまたま流れていたのであの曲は今後alpcon手コキのテーマソングになってしまいそうです(好きな人ごめん)

 

時間が迫っていることに嬢が気づく。

嬢「せっかくだから素股してあげるよ」

素股って単語が飛び出てきたのが想定外だったがこれが最善の選択なのだろう。勃ってないんだもん。

嬢が僕の上に跨る。騎乗位だ。

騎乗位の体制でおまたを僕の息子に擦り続ける。

…圧迫感。

グリグリされてる感じだ。これ、多分勃ってたら割といい感じなのかもしれないけど、残念ながらこの時の息子はフニフニだ。

繭を作りその役目を終え茹でられる蚕の如く僕の息子は嬢の股間の下で沈黙を続けた。

 

急転

嬢「うーん…やっぱり緊張しちゃってたかな…」

僕「あぅ…そうなのかな…」

からしたら疲れるだろう。

だって彼女はずっと僕の息子を扱いている。手の負担が相当だろう。趣味柄指や手を使うゲームをしているが、やり続けていたら当然疲れで何も出来なくなる。

きっと彼女はタイムアップを待ち望んでいたことだろう。そしてその時は迫っていた。

 

ここで1度自分を省みてみた。

分からないことだらけとはいえ、自らの意思で動いていなくないか?と。

今までの工程を振り返り、通しで1点だけやれていないことがある。

穴の感覚を俺は知らなくないか?

触ってみなくていいのか?

 

求めよ、さらば与えられん

Ask, and it will be given to you.

 

いざ尋常に。

 

常に何かをぶら下げている身からすると、「あるべきものがなく別の機構がついている」エリアはミステリアスであり最も興を引く部分かもしれない。

恐る恐る嬢の股に手を伸ばす。

いきなり触るのも無礼だろうと踏み、少しずつ恥丘をまさぐり触る意志を示す。

そしてその深淵へと指を運ぶ。指だけだ。

 

刹那、脳に電撃が走る。

この感覚は。

 

今まで触れたどの部位でも感じたことのないその感覚。

混み上がる衝動。

分からない。この感情は?

沈黙を貫いていた彼が口を開く。

 

「世界はそれを性欲と呼ぶんだぜ」

 

視線を下腹部に向けると、そこには天を仰ぎいきり立つ息子の姿。

 

僅か数分の出来事だ。

自らの感情に狼狽る僕と裏腹に息子は急に元気を取り戻した。

最早僕の脳から別離した何かはそのボルテージを急激に上げている。

驚きでしかない。

なぜ?

穴の中を触っただけなのに、何故か僕の息子はビッキビキになっていた。

興奮より驚きが大きすぎて、正直言って混乱した。

頭と体が一致しない。たぶん、これが本能からくる性欲なんだろうと自覚した。

上の口は嫌がっていても溝の口川崎市高津区だ。

 

止まらぬ手コキ。

高まるボルテージ。

 

自分でも何が起きているのか分からない。

その時は急に来た。

 

僕「え?」

息子「ドリュリュリュリュリュリュリュ」

タイマー「ppppppppppppppppppppppp」

 

僕、いや、僕のおちんちんは”ナカ”の”触感”のみで射精(は)てた。しかも、タイマーと同時に。

 

嬢「え!タイマー止めようとしたら出ちゃってたね」

僕「ブザービートっすね」

嬢「もっと早く触ってもらえば良かった~」

僕「まあしょうがないね~」

嬢「とりあえず身体拭くね」

やったのか…?やれたのか…?僕が?

ジワジワと状況を飲み込み始めた僕は、そのあまりにも意外すぎる結末を受け止めた。

 

EPILOGUE

精液まみれになった僕の胸をティッシュで拭い、シャワーを浴びるよう促された。

僕の心は達成感に満たされていた。

少なくとも女体の一要素に触れ、その感触に僕の身体は(自認出来ていたかは別として)興奮し射精した。この1点だけは事実だったからだ。

”ソープに来て挿れずに帰る”という事実だけを切り抜いてしまうと世間一般の基準からしたら失敗談として片付けられてしまうかもしれない。しかし、僕の中では花丸の経験だ。身体は正直に女体に興奮し出すものを出している。その事実は僕にとって大きな一歩なのだ。

 

僕「ありがとう、ありがとう」

嬢「そう言ってもらえて良かったよ~これはリベンジだね」

僕「この経験だけでも人としてのコマをひとつ進められたような気がするよ…」

何言ってんだこの人 マジで。

達成感に満たされた僕は浮かれながらひたすら感謝をしていた。

もし仮に本人がこの文章に辿り着いて読んでいたら、などという天文学的な確率の話をするのは非常に無粋だが、あの時のあの客は心底満足していたのだということは本心だと説明しておきたい。僕の中では満足していた。

僕はこの上なく晴れやかな顔をしながら嬢と談笑した。

 

身の上話を振られながらシャワーを浴び、服を着る。

心なしか身体が軽くなったような感じもした。生まれたての小鹿のように震えながら入室した僕は羽が生えたような心持ちで嬢が服を着るその様子を見守った。

最後にベッドの上でキスをされ、手を引かれ部屋を後にした。

階段の踊り場まで見送って貰い、僕の初風俗は幕を閉じた。

 

かくして、”ソープに行き童貞を卒業せずに射精をした”人間が誕生した。

「性行為で興奮できない人間が風俗に行くとどうなるのか?」という問いに対する答えは以下になる。

 

”様々な手法でちんちんを扱かれても勃たなかったが、穴の内部をまさぐったら何故か射精した”

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いや、お前がイクんか~い🤣👆

 

後編(振り返り編)に続く

https://alpcon.hatenablog.com/entry/2023/08/10/120202

性行為に興奮出来ない人間が風俗に行くとどうなるのか?(準備編)

拝啓 猛暑の候、皆様いかがお過ごしでしょうか。 alpcon(あるこん)です。

突然の問いになりますが、皆さんは普段何で抜いてますか?性の話です。 AVなり漫画なりと様々な媒体の下に様々なジャンルが枝分かれし、天に瞬く星の数ほどの性癖があると思います。

僕は女の子のおもらしでしか抜けません。そして、一般的(定義は不明瞭ですが)な性行為シーンを二次元/三次元いずれの媒体で見ても興奮出来ません。

性行為で興奮出来ないことそのもの自体は自分一人の生活にフォーカスを当てた時に困る要素が現状皆無です。しかし、男同士の会話で結構困ります。万人に共通するエロという会話のカードが切れない。相手からしたら共通の話題で場を展開したいはずなのに、その会話のメインコンテンツに共感を出来ていない人間が出てきてしまうと話者からしたらこの上なく邪魔だろう。それとなく話題をかわすような嘘をつけるような器用な人間でも無いので、僕が口を開いた瞬間に"外れ値"としてのポジションを否応なしに得ることになる。インターネット等でちょける分にはモーマンタイだが社会性をキープする上でこの上なく邪魔でありコンプレックスと化している。

そんな僕に1つの疑念が浮かんでくる。

今までの自分の考えには一切の経験が伴っていない。もし僕が本当に人間であるなら、実際にそういう場に臨んだら興奮するのでは無いのだろうか。

僕の現状は海に向かって綿毛を飛ばすタンポポだ。花咲かぬ場所に種を飛ばし、沈んでいく。意味も無く生き続け25年目、ここで僕が本当に人間なのか、あるいはタンポポなのかを試してみてもいいのでは無いだろうか? そして何より、仮にそういう場に臨んだ時に僕という人間が何を思い何をするのかが知りたい。知的好奇心だ。

そして、幸いなことにそれを試すことが出来る施設が存在する。風俗だ。 かくなる上は試してみるしかない。知的好奇心が理性と迷いを上回った僕は、風俗へ行く決意を固めた。

決定打になるような出来事があったわけでは無い。ただ、やたら周囲の会話で風俗の話が出たり、「行ってみたら?」と言われた回数が結構あったことを思い返したりと、要素は散りばめられていた。多分、流れが来ているのだろう。

このトリビアの種、つまりこういうことになります。 "性行為で興奮出来ない人が風俗に行くと、〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇〇になります。"

かくして僕は僕自身の身体を使いある種の人体実験をすることにした。 ここまでは実験をする者の視点だが、被験者としての僕には様々な葛藤があった。

博打 周りの話を聞いていると、「とんでもねえのに当たった」「大当たりを引いた」「キスしてくれなかった」「アンアン喘いだ」と感想は様々で、博打要素が強い。僕は何事に対してもリスクしか見ることが出来ないような人間なので、この時点で向いていない。ただ、もうやると決めてしまったのでこの点を悩んでも先に進めない。もう決行自体は決められている。僕はこの実験の被検体だ。そこに意思もクソもない。刑の執行を待つ罪人だ。

グロ 女性器、グロくないですか?見た目 2chのグロ画像スクリプトの画像と大して変わらなくないですか? チンチンには愛嬌があるのにどうしてその剣の納め先はあんなことになってしまっているのだろうか。 これに関しては、そういう対象としてそれを見ていないというのもあると思うし、だいいちそれを画像でしか見ていないのだからそれは机上論に過ぎないと思う。実践した上でダメならそれはそれとして検証結果のひとつだ。

その手法 僕は標準的な性行為の工程を僕は二次元でしかほとんど見た事がないし、抜けないので読み飛ばしている。その生活を続けた結果、実は僕はどうやってヤるのかをハッキリとは知らない状態になっていることに気付かされた。 AVに関しては僕はほとんど見た事がない。 情けない話「視聴目的を問わない」かつ「アダルトビデオ全体」というカテゴリーで絞るのであれば、僕が生涯見た事があるAVのほとんどは淫夢本編だ。 仮に目の前に女体があったとてその調理方法を知らないのは致命的だ。座学を要するポイントなのでその点はこの機会に学ぶことにした。 また、風俗に行くという時点で少なからず相手はプロのセックス屋さんだと仮定している。日々大量の陰茎を捌いているわけだから。なので、その点に関してはある程度座学をした上で臨み、詳細な工程はリードしてもらうことも視野に入れて行くことにした。

タイプ 決行にあたり1番の障壁がこれだ。 好みの顔が分からない 人の言う"タイプの顔"が今現在の僕には分からない。可愛い顔とは?美人とは? 人の顔をパッと見せられて、「この人は可愛い/美人ですか?そうでは無いですか?」と2択を迫られた場合の閾値は恐らく自分の中にはあると思う。ただ、これは「世間一般から見たら多分可愛い方/そうでは無い方」という判断しか下せない。僕は。 昔は可愛いとかなんだとか思えるような感性を持っていたかもしれない。ただ、今の自分は恐らくその感性が致命的なまでに鈍っている。 加えて、僕は僕の行動に対しての嫌悪感が非常に強い。〇〇と思っている自分が嫌という思考に支配されながら生きている。音楽を聴いている時も自分が音楽を聴いていることに嫌になり、ゲームしてる最中にこのゲームをしている自分が嫌になって集中出来なくなったりする。そんな僕にとって、人を可愛い/美しいと思うことそのものへの抵抗が本当に強い。恥ずかしいではなくて自分が嫌になる。ポロッと思ったとしてもきっと封じ込めながら生きてきたからそういう感性も鈍ったのかもしれない。

今回風俗に行くというゴールを設定した以上、嬢の選定という過程を踏まなくてはいけない。分からないのであれば誰でもいいじゃんとも思われる。ただ、それなりに高い金を払うのだからどうせならより良い経験を追究するべきだとも思う。 決意してから2週間近く、僕は写メ日記を眺める日々を過ごした。 早速某サイトを巡回する僕 分かっちゃいたが、全然ピンと来ない。

そもそも人の顔の好みすら分からないような人間がセックス屋さんなんて行ってどうするんだよと言う話ではあるし、行動の順序として風俗に行くことをゴールにしていること自体が間違いである可能性が高い。性欲→発散手段→風俗が一般的な流れだと思う。対して僕は手段が目的と化しているので根本的な欲望が欠けており、当然ここで詰まる訳だ。 何が良いのかが分からない状態で手探りで選ばないといけない。 本当に選定の段階で挫折した。

結果どうしたかと言うと、クチコミ数の多い順でソートし上位帯から消去法で選んだ。 おっぱいに対してかなり無頓着(超乳みたいなのは流石にウワッてなるけど)だからその点は選考基準対象外になり、顔に関しては本当に分からない。少なくとも輪郭がシャープなのはそんなに好きじゃないみたい(2択で選んだ時に大体そうなった)なのでとりあえず外した。髪に関しては長髪があまり好きじゃないことだけはハッキリしていたのでショート〜ミディアム帯を選んだ。 普通ここで苦労しないと思うし、ここが醍醐味のようなところもあると思うが、正直めちゃくちゃ苦しかった。

そもそもの女性観 かつての僕はバリバリに女性嫌いのような言動をしていたし、風俗に行くくらいならその手で殺してくれくらいのことを抜かしていた。25歳現在の僕はどうなっているのかと言うと、他人に向くヘイトが全て自分に向いており、女性はおろか人を本気で非難することが減った。僕の女性嫌いの根源は自分の安寧の地を踏み躙られることへの不安であり、それはヘイトではなく恐怖だ。この点を語ると長くなるので割愛するが、今の僕は女性に限らず人間が怖いだけの何かだ。今回のこの試みで過去の自分が成仏することを祈っている。

少なくとも以上の葛藤、というか性格の問題を無理くりにでもクリアしないと今回の実験手法である風俗行きを達成することが出来ない。風俗ごときに何をそんなに迷うのかという話なんだろうが。

こんな性格なので、ぶっちゃけ予約をした段階でもうガクブルだ。取って食われやしないだろうか。未知の領域に1人で足を踏み入れることになる。高校の留学の時1人で現地の学校にぶち込まれた時より恐れおののいている。 これから起こることに対してプラスに考える思考回路が欠落してる僕は、「情報は全部嘘で、owのジャンカークイーンみたいなのが出てきたらどうしよう…」「仮に挿入出来たとして、中がネズミ返しみたいになってて僕のちんちんが野菜スティックみたいにぶった斬られたらどうしよう…」みたいな不安に頭を支配された。 冗談は一旦置いといて、自分一人の力で(と言っても軽く友人に相談はしたが)未知の領域へ踏み出す事へのプレッシャーに押しつぶされそうになりながらその日を待つことになった。

いわゆる風俗レポ的なものは流れてくる度結構楽しみに読んでいるのだが、前段階でこれだけ悩んでる人はまあ見た事がない。めんどくせーヤツだ(誰視点?)

長すぎる前段はこの辺にして、"性行為で興奮出来ない人間"の実際の体験を赤裸々に綴っていこうと思う。出来るだけ正確に会話を記録し、僕が何を感じたのかを詳細に書いていこうと思う。

中編(本編)へ続く

https://alpcon.hatenablog.com/entry/2023/08/10/120148

運送会社黙示録

長らく更新をしていませんでしたが皆様いかがお過ごしでしょうか。

alpconです。

気付けば20代も折り返しどうしようもないフェーズに突入しつつあります。

思いの丈を話すことすら後悔が生まれ、口を開く事への抵抗が日々大きくなる日々を惰性走行で過ごしています。

 

何故3年振り?に筆を執ったのか?と言うと単純で、丁度転職をしてから1年程経ったからだ。1年前まで、私はよく分からない会社で働いていました。平たく言えば運送会社です。何故そんな見え見えの地雷原に足を踏み入れたの?と言われたら何も言えないが、所謂インフラ的な業界だからなくなることは無いだろうという安直な安心感と、単純にこの会社からしか内定が出なかったというのがある。自分を売り込む就職活動という絶望的に適性がない行為に精神的に疲弊しきっていた人の末路である。本気で自分にいい所は無いと思っているし、嘘をつけるほど機転も効かない私からしたら採られるだけでも儲けものくらいの思考回路だった。

 

前段が長過ぎたが、今回は私が某運送会社に丸2年勤めていた時の思い出を備忘録として綴ろうと思う。前の会社では〇〇だった、とか前は〇〇出来なかった、等の言葉がことある事に自分の口から出てくるが、私はもうあの会社の人間でも無いしいつまでも引きずっているのも女々しいので、思い出せる事をここに記し「前どうだったの?」の問いに対してこの記録を差し出し余計に過去を振り返らないようにしたいと思う。ただでさえ常日頃寝付けずに過去に苦しめられ続けているような人間なので。ただただ負担だっただけなので、普段のように自分の内面にそこまでフォーカスが当てきれていないところが多いが、よしなに。

 

入社〜GW

 

僕の入社した会社は、1年目は全員社員独身寮に入り主管の支店で様々な担当をローテーションさせその後本配属で各支店に飛ばすという流れを取っていた。主管の支店も東京名古屋大阪等あちらの裁量(と言っても大した理由は無いのだろうが)でどこかに飛ばされ、その後各支店に飛ばされ…といった感じでどこになるのか分かったものではなかった。神奈川出身の私は運良く東京主管支店に1年目行くことになり、東京都内の独身寮で生活をすることになった。初のひとり暮らしという事で初日だけ浮かれていた。

我々が入社した年は例の流行病全盛期の年で、寮で人と会うなという事を口酸っぱく言われ配信形式の入社式を見させられたように記憶している。今でこそ普通だが当時は違和感が満載だった。

 

入社してから1ヶ月程座学の研修になるのだが、もうこの時点で様々な"危険"ポイントが出現する。

まず、社訓テストなるものが毎日最後に行われる。新入社員の誰も真面目にやってなかったし、人事もやれと言われたからやった感を出しながらプリントを配布してきた。聞けば昔から新入社員研修の伝統らしく、例の流行病が無ければホテルの部屋で絶叫音読させられてたとか。恐ろしい。なんの意味も成していない紙を同期数名と白紙で提出して帰っていた。

次点で気になったのが、勤怠管理が紙記録だった事だ。まず研修の段階で定時終了にならないことが多く、その正確な時間を書かされる。後からこの会社にも勤怠システムがあったことを確認してるので、アレに関しては本当にムダだった。何のためにあちらでコントロール出来る研修時間の終了時間を記録し提出した?新入社員全員変わらんのに。ちなみにこの会社は定時(18:00)を超えると自動で30分休憩扱いにされ、その後からじゃないと残業時間がつかない仕組みだが、研修時その説明は無かった。

ひと月ほど座学の研修をさせられ、その後GW明けくらいから現場での研修をすることになっていた。ここまでは序章で、ここから私は現場での肉体労働と周囲の人員による狂いが襲いかかってくることになるとは知らずに、研修部屋から外へ出ることが出来る喜びに浸りながら2tトラックの助手席に乗り支店を飛び出すのであった。

 

現場狂い編

 

職種としては総合職採用だったので事務系になるが、現場での研修ということで私はここから約半年間文字通り汗水垂らしながら働くことになった。

ここで僕が入社した会社の仕組みについて軽く説明しておこうと思う。冒頭で説明しろよと言われればそれまでだが。

僕が入社した会社をカテゴライズするなら「路線屋」と言われるジャンルの会社である。とは言え同業界の人以外にとってはなんのこっちゃという感じなので以下に説明をする。

物流という業界は主に「運ぶ」会社と「保管する」会社に大別される(通関系の人ごめん)。前者は船会社であったり鉄道会社(1社しか知らんが)だったりするが、私がいたのはトラックを使う運送会社だった。ちなみに貨物輸送全体の中での割合としては半分くらいがトラックで運ばれているらしい。

運送会社の中でもジャンルが分かれていて、積み地と降し地を指定されてその分だけ運行をするチャーター便を手配する運送会社もあれば、自社でネットワークを持ち拠点間を大型トラック等で混載で運び、拠点から各配送先までを2t車やら4t車やらでグルグル回って配達をする会社もある。後者を路線屋と呼ぶ。ここまでの説明だとなかなかイメージがつかないだろうが、某黒猫の会社や飛脚の会社をイメージしてもらうと分かりやすい。挙げた2社はtoCを扱っているため「宅配便」と呼ばれることが多いが、toCメインでない場合路線屋と呼ばれるイメージだ。

そんな路線屋はどんな荷物を扱っているのかというと、まあなんでも運ぶ。入社当時はマスクやアルコール消毒液をやたらと運んだ記憶がある。マスクはいいが消毒液は液体なので重かった。手で持てる範疇の荷物は大体何でも運んだ。パレット物(フォークリフトで持ち上げるために穴が開いているすのこみたいなやつです)になるともう何だかよく分からない機械やら部品やら何でもあった。宅配便と違い路線屋のメリットはサイズが大きくても対応ができる(させられる)点なので、ゲテモノが多い。某黒猫の会社とか飛脚の会社とかを使ったことがある人は分かると思うが、120サイズ超えたら受けませんみたいなのあったでしょう。あのリミットが無いのです。なのでやたらデカい段ボールにギチギチに物詰めて発送する客が多い。しんどかったわ

 

さて、話を戻すと僕はそんな会社のことを右も左もわからぬうちに現場で配達をやることになった。最初に配達をやったエリアは台東区の閑静な中小企業ばかりある町で、一緒にペアになった同期とほんわか配達をこなしていた。幸い地図を読むこととそれを身体にインプットすることは苦手ではなかったので、任されたエリアは番地を言われたら行けるレベルまでは詳しくなった(というか、ならざるを得なかった)。

配達をする、と言っても全面的に新入社員に任せる訳ではなく、ちっちゃい営業所があったのでそこまで拠点から荷物を横持ちし、そこから台車なり自転車なりで配達をしていた。その営業所まで持ってくるドライバーが責任者的立ち位置になっていたので、ドライバー1人と台車引きのおっちゃんと新入社員2人の4人で2か月くらい伸び伸びと過ごした。のんびりと配達・集荷をしてくっちゃべって1日を過ごしていたのでこの時期は全然苦しくもなんともなかった。というか、例の流行病の影響で物量が落ちていたので、会社全体としてその時期は暇だった。あの時期はバイトの延長線上みたいな感じで働けていたので一番楽しかった時期かなと振り返ってみたら思う。同期と適当に喋りながらとはいえ物運ぶから肉体的には疲れるけど。

 

研修先がローテーションになっている関係上、僕は次のちっちゃい営業所で配達をすることになり別のエリアへと動かされた。

その場所というのがなんと秋葉原である。電子部品の小売店メイドカフェ/コンカフェ、観光客向けのオタクショップ、カードゲームショップとゲームセンターの町だ。人がやたらと多い町であることは知っていたので単純に面倒くさいだろうなということを思いながら4t車の横に乗り見慣れた土地まで向かっていた。

ここで大きな問題が発生する。

前述した通り、ペアとなる同期と共に配達をする形で現場で働くというのが基本的な形になる。台東区でペアだった同期とは普通に仕事をしていたので問題が起きても一緒に何とかしていた。ただ、今回秋葉原で一緒に配達をすることになる同期がキワモノ中のキワモノであった。入社後のオリエンテーションの際に「山手線を一周することが目標です」と目標を掲げていて、且つ同期の女の子に京成スカイライナーのグッズをプレゼントしていたキワモノだ。趣味嗜好がおかしいから云々などという下らない主張をしたいのではない。一先ず距離感がおかしい人間であることだけは前情報として判断できたので、話し相手にはならないだろうということで会話がない仕事になるのかなとふんで現地に赴いた。

想定される事象より悪いことが起こるのが世の常である。そいつは仕事が一切できなかった。そいつはローテーション上初めての現場で、以前までは事務所にいたらしい。後から話を聞いたところ使えないから何も任せていなかったとのことだった。そんな彼に現場での対応の仕方等を僕が教えなくてはいけなかったため、懇切丁寧に教えた。地図も覚えきれていない状態で教えながら回るので大変だった。人にものを教えるとき、段階を踏んで教えるため初日はバーコードリーダー(伝票をバーコードで処理するために持ち歩きます)の使い方の本当に基本的な部分を教えて、これをやってくれと任せて後は自分で実際のものを配達するといった形でやった。しかし、翌日になるとそいつは何も覚えていない。メモも取っていない。メモを取ることだけが正解とは言わないが、一切覚えていないし出来ないとも言わない。やらせたら暫くその場でフリーズしているのだ。そいつは。想像してみてほしい。人に教えながらやってその分配達の量が減るわけでもないし、皆さん配達が遅れたら怒るでしょう?事務所から鬼のように自分宛てに「何時ごろ行けますか?」と聞かれる。2人分の配達量を子守りしながら一人でやらなければならない。2.5人分の負荷をかけられながらあの町で物を運ばなければいけない。死だ。

僕がスキャンまで済ませて、この荷物をここに持って行ってと指示を出した挙句、道端で配達もせずにサボってた時もあった。最低限のことすらできない上にサボる。の上に言葉は通じない。かなり限界だった。

そんな限界な様子が顔に出ていたらしく、「俺の顔がヤバすぎる」ことを理由に自分以外の同期が集められ会議が行われた結果、そのヤバ同期とのペアは解消された。問題自体は解決したので良かった(その後ペアになった奴はまともだった)のだが、当時秋葉原で流れていたアニソンやらなんやらを聞くと思い出してしまう。ただでさえ毎日あの町で同じ音楽(具体的な場所は言いませんがループしてる場所ありますよね?)を聞かされるだけでもかなり苦しかったし、特に僕は音楽と記憶がリンクしてしまいがちなので不意に聞こえてくるとうわってなります。

 

秋葉原の一部に異常に詳しくなった後、私は拠点内の現場作業に回された。主要荷主の荷物の中に、自動仕分け機で分けると壊れるものがあり、その荷物を分けるという仕事だった。仕事自体は簡単だが、とかく待ち時間が長かった。午前中に集荷し仕分け、夕方に集荷されたものを仕分け、最後は夜の便の積み込み場所までその荷物を置きに行くという仕事だった。

ここでも僕は人に狂わされた。作業員の中に障害者雇用の人間がいて、彼らへの指示出しも我々に任されていた。障害者雇用の人間のうち一人がしゃべるタイプの障害者で、やたらと質問をして来た。仕事をする分には上記の同期よりも遥かにマシで、言われたことはある程度はやってくれた。しかし、どうも僕はその障害者から「この人は何を言っても対応してくれる」と思われてしまったようで、しばらくすると「帰っていいですか?」と10分おきに聞いてくるようになった。まだ仕分けが残ってると説明しても何度も聞いてきた。ペアになった同期はもう僕にその対応を押し付ける方向で動いていたので、そいつの相手を四六時中しなくてはならない。ストレスがやばかった。そのうち、帰りたそうにしていたら僕は支店内を逃げ回って話しかけてこれないようにした。その結果、フォークリフトが爆速で行き来する中を全速力ダッシュで駆け回る障害者を生み出した。僕の手で。ちょっと面白かった。

何が辛かったかってこいつには何を言ってもいいと思われるような人間であるとみなされたことだ。社会に出たうえでこういう認識をされてしまうと、不当な負荷が増える。相手が相手だから下手になんか言って発狂されても困るし。ストレス解消のために捨てパレを蹴って暮らしていた。この頃は。

 

内勤〜本配属

 

その後、事務員の研修に入りようやくこの会社の基本的な従業員の仕事的なものをやることになった。入社してから半年近くパソコンを使った仕事をしていなかったのだ。僕は。

内容としては「いつ配達くるの?」「この荷物どうなっている?」の電話に答えるということを延々とやるという仕事だ。ドライバーに状況を(電話で)聞いて、客に答える。荷物がなければ現場を探す。といった感じだ。シンプルではあるが、回答をクイックに要求されるので目の前のことをひたすら片付けていかないといけない。時間が過ぎるのが滅茶苦茶早かった。後はドライバーとのやり取りが肝になるので現場からの信用を得ないといけない所もポイントだった。そういう意味で言うと現場とは上手くやっていたので意外とすんなり出来た。

問題なのは他店所とのやり取りである。社内で連携を取ろうと言う意思がこの会社には無い。例えば荷物が壊れたとしよう。そんなことはざらにある会社なのは一旦置いといて、荷物に何か問題が発生した際は発送元(荷物を集荷した)の営業所が出荷人とのやり取りをし、到着先の営業所が荷受人とのやり取りを任される。ここで、現認書と呼ばれるここの店所の誰々が壊した等の書類があればいいのだが大抵そんなものはなく、ウチは悪くないの主張を双方繰り返す形になる。到着先の担当は荷降ろし時点で壊れていたと言い発送元の担当は積み込み時問題は無かったと言う。ここで、相手方の店所担当者が話が分かる人であれば「代品依頼するので破損品は戻してください」で終わるのだが、めんどくさいのに当たると監視カメラを見ろだの幹線便のドライバーに連絡を取って聞けだの厄介な事を聞いてくる。シンプルに面倒臭い。面倒臭いだけならいいのだが、例えば配達先との調整を出荷人としてもらわないといけない等入り組んだ依頼を出荷人としなくてはいけなくなった場合、何故か到着店に全部押し付けられた。これは後述の本配属先で多発したのだが、酷い時は要件を伝えてる最中に電話をガチャ切りされるし、「意味が分からないので出荷人と直でやってください」などと抜かされることもしょっちゅうあった。職務放棄だ。

研修として振られてるエリアは大して物量がないエリアだったので特に大きな問題は起こらなかったが、ただただ忙しかったし電話口で客に怒鳴られたりとかもしたので大変ではあった。

 

そうこうしながら年が明けた。年が明けるなり、自腹でフォークリフトの免許を取らされた。自腹ってなんだよ なけなしの寸志はほぼ全額フォークリフト講習に消えた。資格はあるに越したことはないとは言え、フォーク乗れたところで同業界でしか使えないし、現場仕事でしか使えないんだよな。厳密に言うと免許ではなく、技能講習の修了イコール免許的な立ち位置になるので更新が要らない。要は今でも乗れます。フォークマン必要な時は言ってください。リーチは乗れませんが

 

フォークに乗れるようになったあたりで本配属が発表されるスケジュールだった。僕はたまたま横浜の方の支店に配属され、偶然の重なりにより故郷横浜市で働くことになった。とは言え僕の地元からはかなり離れた横浜だったが。

1年弱働いた時点で、①給料が残業時間で稼げというスタンスでボーナスが安く、死ぬほど残業しないと稼げない仕組み②何をするにもアナログで(全て電話とFAXでのやりとり、メールアドレス取得には稟議が必要)効率もクソもない働き方③休みが少ない(110日)の3点から転職は絶対にしようと決めた。ただ、本配属先の状況次第である(支店によってだいぶ雰囲気は違う)ことと、勤続年数が少ないままでの転職への恐れからまだ一旦我慢しようと決め、とりあえずは働き続けることにした。この決断が正しかったか間違っていたかは分からないが。

 

本配属先 前編

 

海の真横の営業所だった。配属日、湾岸線から見える根岸の製油所の炎を虚ろな目で眺めながら上司に営業所まで車で連れていかれた。引越し先が無い為、2か月くらい会社の真上の部屋で相部屋をし、その後借り上げ社宅に住むという流れになったので、しばらくその営業所の真上で暮らしていたのだが、とかく風が強い。海風に晒されながら今後は働くのだなと変な覚悟だけ決めた記憶がある。

 

研修で居た主幹店と違い、ドライバーも50人前後しかいない(これはそこまで多くないほうです)支店で、内勤も当時は社員は6人と他パート5人といった構成だった。主幹店と違い文字通りアットホームな雰囲気は実際あった(アットホームな職場という単語へのマイナスイメージはかなりあるが、この時の自分にとってはマイナスには働いていなかった)。配属当時は。

 

最初の1か月くらいはまだ慣れていないからね的な雰囲気で自分に振られる仕事もそんなに多くなく、意外にもホワイトな感じで働いていた。しかし、2か月目くらいから様子がおかしくなった。

 

同じ担当をしていた事務員が2人いた。1人は20代でもう1人は子持ちの40代くらいの人だった。前者は社歴7年か8年くらい、後者はベテランのはずだった。ただ、後者のベテランの人が要領が悪い。そこに時間をかける?みたいなことに時間をやたらとかけている。現場でずっと荷物と睨めっこしたりしていた。何の解決もしないのに。そして何よりドライバーと話したがらない。全部メモ書きで済ませようとする。ドライバーの棚にメモをぶち込んでおいて、「これ何だよ?」の流れをよくやっている光景を見た。ドライバーの気質上、直接話したほうが絶対に良いと僕は思っているので違和感はあったが仕事のやり方は人それぞれだし新人が何か出る節ではないと思っていたのでモヤモヤしながらその様子を見ていた。それでも僕が何かミスをしたときはカバーしてくれたので、仕事はやってくれる人ではあった。

前者の20代の社員が論外だった。会社の真上の社宅に住んでいた彼は、仕事を一部やったら部屋に戻って寝ていた。本人的にはやることは抑えている的なスタンスだったが、彼宛の電話が来ても彼はほとんど不在(寝てる)のためどうしようもない。結果的に他の人が一から要件を聞いて対応するみたいなオチになっていた。出社しているならまだいいが、彼は結構な頻度で体調不良を理由に欠勤をかます。上司に聞いたところ事前連絡がないことのほうが多かったとのこと。頭数としてカウントできないのだ。

おまけに風呂に入らない。臭い。結構ストレスだった。上記の生活を続けたことで年に2桁キロ単位で太っていたし。

オタクトークをけしかけられたことがあったので彼はインターネットには精通している。のでもしかしたらこの記事に辿り着くかもしれないから一つ補足する。

お前が登録者数2桁の個人Vtuberをやっているのをたまたま見つけたのにバラさなかった僕の優しさだけは忘れるなよ?あまり人にスマホの画面は見せないことだな

 

以上2名と働くにつれどうなったかというと、後者の特定の関わりたくないドライバーの担当エリアの案件と、前者の対応していない業務が僕に集中することで単純に僕だけが忙しくなった。人が増えているのに。僕が来ることで面倒ごとだけが僕にのしかかり他二人は楽になったという状況だ。この状況は僕が発信するまでもなく、現場からも言われていたし上司の判断でも僕は別の担当に移った方がいいとのことで一旦僕は別の担当に移ることになった。支店内での役割変更といったところだ。

 

新人があんなにこき使われてかわいそうにとドライバーから憐れまれていたのか分からないが、頼まれたことをやってくれる人間としては認識されたのでペーペーなりに信用はされていたのかなということは後から振り返ってみると感じる。他二人より相対的にマシなだけだろうが。

 

本配属先 後編

 

担当が変わって私が何をやっていたのかと言うと、営業の担当である。運賃改定交渉やら見積書発行などいわゆる営業的なことを任される立場だった。

いわゆる営業ってゴリゴリに客先に出向くイメージになるのだろうけど、こういう会社での営業マンって本来は見積書出すだけの人であるべきなんですよね。

というのも、普段配達をしているドライバーの方が余程その地域に根差して行動をしているわけで、「ここに配達したけど他社で荷物出してたよ」とか「ここに新しい倉庫できるよ」とかの細かい情報を吸収することについてはドライバーの方が役目としては向いている。配達して会話をしたりするなかで引き合いが来る方が自然だし、人と人とのやり取りから発生した仕事であれば何より担当ドライバーはないがしろにはしないのだ。ぽっと出の営業マンがテレアポなりなんなりで突撃するよりもそういったやり方のほうが遥かに受注率は高い。アナログなことを言っているかと思われるかもしれないが、会社としての優位性がない中そういったやり方で取っていかないと成り立たないのだ。

とは言え、本部から様々な課題や報告事項が降りてくるため、それをごまかしながら報告を上げ、運賃周りのデータ管理などをしながら過ごした。

他にも大型案件の立ち上げのために現場を手伝ったり(夜8時くらいまで一緒に積み込みをしてその後基幹店で荷下ろししたりとかもあった)、一斉出荷の荷札を作ったりなど、イレギュラーな対応をメインにしていた。

顧客窓口的立ち位置としていることができるため、営業の仕事自体はそんなに苦しくなかった。いや苦しくはあるが

 

営業になったぐらいからだろうか。伝票の登録作業というのがあって、毎日その作業は発生する。元々それをやってくれていた人が転勤になり、私は毎日それをやることになった。これが相当ストレスだった。別にやり方を覚えれば他の人でもできる作業なのに、覚えてしまったがために毎日やることになってしまった。何が問題かというと、ドライバーが全員帰ってこないとその作業が完了できないので必然的に帰りが遅くなるうえに、その作業が何かの片手間に出来る作業でもないから自分の仕事が全て止まるのだ。

毎日夜8時半以降に自分の仕事をするといった生活を続けなくてはいけなくなった。そんな状況にもなるともう帰宅しても何も手につかないし、何も出来ない。

おまけに上記の通りサボる奴のフォローが俺にたまに回ってくる。正直限界だった。

休みも変則、給料も安い、仕事も余計な事がついて回り過ぎ、そして何よりこの会社にいることで自分は何も得られないと確信した。

 

〜退職

 

年明けてから転職活動を始めた。

休みも変則的な上、通常会社が動いている時間帯に退勤することができない状況だったため、転職活動をする上での一番のネックは日程だった。

合間を縫ってたまたまかみ合った会社に内定を貰ったのが5月頃だった。

転職活動をして思ったが、仕事をする中で自分は日々の業務に追われるだけで何かを成し遂げたことはなかったなと。人生においても何も成し遂げていないが、仕事でも何も成し遂げはしなかったなと。成功体験からくる有用性をアピールしなくてはいけない面接において致命的だった。現場と調整できるだのなんだののワードは大体転職エージェント的な人に考えてもらった。あの2年は何だったんだろうか。未だに思う。ただただ時間と体力だけを失った2年だったと思う。

 

退職する旨を上司に伝えた時の上司の表情は多分忘れることはできないと思う。普段からフランクに話をしてくれて、なんかあったら助けてもくれたし感情的になることもなく笑いながら対処してくれる割と理想の上司だった。あの会社以外で出会いたかったような人だった。

 

例に漏れず引き継ぎ相手もクセモノだった。

ずーっと独り言を言っている人だ。それもかなり大きな声で。前述のVtuberと喧嘩したりもするし、電話口でドライバーを詰めたりと、不和をもたらすムーブをする人だった。大体の行動に感情がガンガン乗るタイプ、悪く言えばヒステリックなそんな20代の女性相手への引継ぎをラストひと月半で行うことになった。

まず、それまでの担当業務の先輩社員をいたくリスペクトしていたせいで営業の仕事の引き継ぎに時間を割いてくれない。話してる途中にそっちの業務の方に気が行ってしまう。上司パワーを使ってその仕事から手を引かせてやっと引継ぎの時間を作った。

というものの、上記の伝票登録の仕事も引き継ぐことになるのでその時間と他の営業の仕事を引継ぐという事をやるとすごく時間がかかる。そして人に教えるという行為はものすごく疲れる。ぶっちゃけ辞める間際の引継ぎ業務が1番疲れた迄ある。

手を動かす内容についてはぶっちゃけ手順書なりなんなりがあれば問題がないと思うのだが、結局のところ対現場折衝がかなり肝になってくる部分もあるのでどうしてもコミュニケーション面を何とかしてやらないとどこかで詰まるのは目に見える。自分自身の性格/行動すらどうにもならないのに人に講釈を垂れないといけないのが非常に苦しかった。人それぞれやり方はあるとはいえ毎日時間に追われながら現場で配達をしてるドライバーに電話口で詰めて回るようなことはしないでねとやんわり伝えるくらいしか出来ないし、お互い助け合ってやってるんだからこっちが細かい事を対応してあげればあちらも対応してくれる(少なくとも僕の依頼は結構現場サイドで聞いてくれたので)なんてのは既に各所で喚いてしまった人に説いても手遅れなのだ。

迎えた退職日は非常に心は軽かった。始終苦しめられた会社にもう行かなくてもいいというのは結構爽快なものだ。この会社を辞める人に円満退職は少ないらしい(同期は1人退職代行を使って辞めていた)。そういう意味では後を濁すことなく一応の謝辞を込められ事務所を後にすることが出来たのは最低限の義理を持つことが出来たのかなと後から思う。

退職した帰り道は温めていた画像をツイートしながら自転車を押して帰宅した。

https://twitter.com/preciousheart35/status/1535256109794988032?s=46&t=EcpnunvJqvx8GpAtWnWffw

 

振り返りと所感

 

前述したが、辞めた理由をまとめると以下になる。

1.給与面(安い)

2.残業(自分でコントロール出来ない)

3.他で潰しの効く業務内容では無い

4.人

転職したことにより1~3の要因は解決出来たし、4に関してはどの会社でも起きうるものなので様子見というところだと思う。

転職した事で最低限人間らしい生活をすることが出来ているので、目標としてはクリアだと思っているし後悔はない。

運送会社に居た者として切に主張しておきたいのは、今後どんどん物は届かなくなるという点である。

インターネットを眺めていると配達が届かなくて怒ってる人が結構いるように感じる。まあ確かに待つ分時間を取られるし、利用者側からしたら知らねえから早く持ってこいというのが意見だと思う。ただ、実態を現場で見たものとしては今後もっとモノは届かなくなるよというとは伝えたい。

24年問題と言って、ドライバーの残業時間の上限が厳しくなる問題がある。どの会社も今の輸送網というのは残業ありきで成り立っていて、そのリミットが厳しくなると現行の体制が保てなくなる。何が起こるかと言うと恐らくリードタイムが伸びて翌日着いていた荷物が着かなくなることになるみたいなことが多く発生するだろう。また、夜に再配達を頼んだりするシチュエーションもあるだろうが、それもなかなか対応が難しくなるだろう。

24年問題は来年の話で直近の話題だが、長期的に見るとドライバーの高齢化も著しい。僕がいた営業所も50人近くドライバーがいて40代以下の人数が1桁人だった。会社側も人を雇おうとはしているが、準中以上の資格取得を補助出来る体力がない会社がほとんどだ。ドライバーになりたいと志して中型なり大型なりの免許をとる若者なんてそんなに居ないわけだ。どんどん運び手は居なくなるだろう。Amazonとかがどういうスキームで軽四の傭車に依頼してるのかは分からないが、長距離ドライバーがいなかったらあのクソデカ倉庫から各拠点まで運べないわけで。例の流行病がピークの時、受領印を貰おうとしたら大量の消毒液をぶっかけられたドライバーも居たと言う。職業差別も存在するような世でドライバーを志す人はどれくらいいるんだろうか。

説教臭いことを言うが、人ありきで生活は成り立っているのだから感謝しろなんてことは言わないがそこに対する想像は少しでも巡らせて欲しいな、と思う。ブチ切れて10tで人に向かって突っ込んでくるようなドライバーや、何ヶ所も配達先から出禁を食らってるようなドライバーとも出会ったが、彼らも人だ。少なくとも僕の頼みは聞いてくれたし、自分のところの客は大事にしていた。ドライバーと喫煙所でくっちゃべる時間は今思い出しても結構楽しかった。

 

思い出に浸ってしまったが、今後荷物を受け取る時に少しでも思いを巡らせてくれたら僕が無駄にした2年間が浮かばれます。1インターネット人の経験談として脳の片隅に何かを残していただければ幸いです。あの会社にいた事で広島県は嫌いになりましたが。

 

とりとめが無くなりそうなのでこの辺で終わりたいと思います。また気が向いたら。

性癖の矯正をしようとした話

こんにちは。歯ぎしりが止まらないalpcon(あるこん)です。

今回は下世話な話をしていこうと思います。

皆さんにはお気に入りのズリネタというものがあると思います(こんなインターネットの辺境にくる時点で読者に女性はいないものと断定していますのでその前提で話を進めます)。NTR、触手、ロリ、リョナなど挙げればキリがありません。天に瞬く星の数性癖のジャンルがあると僕は考えています。各々の性癖にマッチしたズリネタで到達する行為が世界中で行われていると思うと人類はまだ繋がれるような気がしますね。

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僕は性癖に関して深刻なバグみたいなのを抱えています。おもらしでしか抜けないんです。本当です。おもらしでしか抜けないと言っても自分でするわけじゃありません。自慢じゃないですが膀胱も肛門もだいぶ締りがいい方です。おもらししてる女の子(またはそれに準ずるもの)を見てシコる人です。

何で?と思われるかと思いますが自分でも分かりません。中1か中2で精通し(遅い?)性生活が始まってからこれ以外で抜いた記憶が欠落してるんです。本当に。萌へ〜wとかえっちだなぁ、とか思うものはそれなりにありますが射精に到るものがおもらしだけなんです。同人誌とか買うんですけど性行為シーンを飛ばして読んでます。おもらしシーンだけ。つまるところ僕の性癖は一点特化型過ぎてしまっていて他で抜けないんです。

天に瞬く星の数性癖が存在すると僕は述べました。多くの方々は一等星のようなメジャーな性癖を結びつけ自身の性癖と言う名の星座を生み出していることでしょう。対して僕はどうでしょうか。広い宇宙の片隅に取り残されたようになっています。

みんなに、近づきたい

人生を22年生きてきて僕が1番やりたいことと言うのはもう見えています。"普通になりたい"んです。あらゆる面で変わってるとか異常だとか言われたり自分で思ったことが多い僕は普通になりたくてしょうがないんです。凡 is the best。もうバカにされんのもイジられんのも疲れてきてるんです。俺は。俺が悪いのか?

ということで僕は性癖を矯正するべく比較的綿密にプログラムを組み、実行しました。その報告です。

実験計画

僕が考えたのは"おもらしに近い性癖からだんだん寄せていって最終目標は性行為シーンで抜けるようにする"ことでした。段階を踏めば性行為で抜けるようになるんじゃないかという目論見です。 ここで僕が考えていたのはおもらしという性癖が構成する要素を含んでいる性癖/シチュエーションをまとめ上げ、それぞれの性癖ごとにオナニーにかかった時間を計測し平均時間を比較すること、またその平均時間が短かった要素を選びその要素と性行為が絡んでいるものを題材にシコり、最終的には性行為単体でシコることを目標としました。 平均時間の比較ということで通常時の平均時間を算出したところ僕の平均時間は1518秒(25分18秒)でした。また今回の実験では条件を揃えるためにオナホール(無口なあの娘big)を使用して実験をしました。通常時平均時間もオナホ使用時のものとなっています。

この実験をするに際して大変だったのがジャンルごとに性癖を分類するところです。星の数ほどある性癖のどれがよりおもらしに近いか、なんていうのを一人で考えていたのですが軽く気が狂いそうでした。

おもらしという性癖が含んでいる要素は悩んだ末①羞恥②背徳③汚損の3つにしました。それぞれに近い要素の性癖を見つけてはシコり、平均時間を出していくというのが今回の計画でした。

この実験を行うためにスプレッドシートを作って秒数を書いていくなんていう事もしました。

以下が実験の結果報告です。

実験失敗

心が折れました

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羞恥心から攻めよう、と思って露出で抜こうとしたら1時間40分かけてもうんともすんともいきませんでした。痴漢は一応抜けました。1時間10分くらいかかりましたが。

この時点で気づいたんです。この実験はそもそも間違っている。そう、俺はオナホにイカされてる

痴漢で抜けた時「あ、俺マジで性行為シーンで抜けるようになるかもしれん」と希望を抱きました。しかし、オナホにイカされてる疑惑が産まれてから手淫を試したところ中折れしました。

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俺はあと何分シコればいいんだ…!無口なあの娘は何も言ってはくれない…

そもそもオナニーにかかる時間として1時間以上というのは異常らしいです。某週刊誌が取ったアンケートによるとオナニーの平均時間は21分らしいです。この時点で僕は敗北しています。

ここら辺の情報が入ってきた時点で心が折れました。実験は失敗です。

自己分析

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メンブレしてても仕方がありません。敗因を分析していきましょう。どうすればいいのかを模索していきましょう。

恐らく、ですがおもらしの本質を見極める際に羞恥と背徳と汚損の3つをタグ付けしていたのが悪かったように思えます。何かこの性癖を上手く表現出来る方法は無いものかと調べていたところある言葉に出会いました。

ハーマトフィリア(失態性愛)何らかの失敗や失態行為への性的嗜好。英語:Harmatophilia

多分これ以上に上手に説明出来ている言葉はないでしょう。ハーマトフィリアのライトなものはドジっ娘とかどこかに書いてありましたがそのレベルのやらかしで性的興奮する人います?僕は見た事がないです。多分"やらかし"の重大さと行動のエロさ(ここに関しては同意を得られるかわかりませんが)的にハーマトフィリアに該当する性癖は(メジャー???なところで言うと)おもらしくらいしかないんじゃないかと思われます。恐らく僕が失態性愛者だから他の性癖への移行がなかなか難しかったんじゃないのかと考えています。 ちなみにハーマトフィリアでGoogle検索をかけると1番上に精神疾患という文字が見えました。救済(たす)けてくれ

僕の性癖の本質は見えました。しかし残る疑問はただ1つ「何故性行為に興奮しない/抜けないのか」です。 世の童貞諸君(僕もです)は体験したことの無い性行為というものでバチバチに抜いてます。ですので僕にだってやってやれない事は無いはずです。何故俺には出来ない?性的倒錯の中でも性対象倒錯である、なんていう説明もできるのでしょうけど対象そのものは人からブレてはいないはずなのです。何で?

新事実

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僕のTwitterのbioにはある単語が書いてあります。「ポルノ誘発性勃起障害」です。最初のうちは冗談のつもりで書いてました。Twitterだとよくやるでしょう?「今日の予定」とか「今これ」みたいなノリです。エロいの見すぎでちんちん勃たなくなるとかウケますね。嘘から出たまこと、というのはまさにこの事でしょうか。本当に僕はそれに当てはまってしまっているようなのです。

ポルノ誘発性勃起障害について書かれていた文をチラ見してみると、「より刺激の強いポルノを求めること」「陰茎により強い刺激を与えていること」などが原因になるそうです。また性的興奮を伝える回路は報酬回路と同じらしく、強い性的刺激を与え続けるとシナプスの長期増強により薬物依存と同じような状態になるということが分かっているらしいです。(僕が調べた範疇なのでソースを辿りたい方は自力で調べてください。それくらいの信ぴょう性です) 刺激の強いポルノ、陰茎への強刺激、両方とも思い当たる節しかないですね。僕は立派な勃起障害であることが判明しました。ちなみにポルノ誘発性勃起障害(PIED)の治療の臨床報告では8ヶ月のポルノ断ちという治療法をとっていました。狂っている。 ポルノ誘発性勃起障害にも症状の程度というのがあるそうなのですが、普通勃起障害が発覚するのは性行為の時(らしい)で、僕のように「ポルノですら抜けない」の症状は(もし俺が本当にポルノ誘発性勃起障害と公式に診断されるのであれば)重篤らしいです。

ポルノ誘発性勃起障害の症例はだいたい海外のものだったので日本で「僕はポルノ誘発性勃起障害です!性行為に興奮出来るよう治療してください!」と叫び回っても恐らく精神病を疑われるだけでしょう。僕が性行為に興奮出来るようにする何か他のアプローチは無いものだろうか。

起源を辿る

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そもそもポルノ誘発性勃起障害にしても性癖が異常化する前に何かしらのステップがあったはずです。僕の性的興奮のルーツがどこかにあるはずなのです。しかし、その材料が見当たらない。本来今回の実験が成功していればそのルーツも辿ることが出来たはずなのです。というか、別に同級生がおもらししたシーンを見たとかそういう経験が一切ないのにこんな性癖になっていることが本当に謎なんです。

昔保存した画像とかをフォルダの奥深くから探してみたところ2次元3次元問わないロリものの画像(非エロ)が出てきました。2次元ならさておき3次元の画像を保存していた高校生くらいの自分にシンプルにドン引きしてしまいました。昔保存した画像の中にも性行為が絡む画像は一切ありません。強いて言うならパンツ見えてる画像は保存してあった。

ここまで来ると(PIEDの話を一切考慮しないのであれば)性行為に、または女性に対して強いコンプレックスがあるとしか考えられないでしょう。女叩きしてた過去があったりするし女性経験はおろかいい思い出もないです。また、"男の娘がイける(射精はできませんが)"という僕の嗜好も女性に対するコンプレックスを裏付けするものになっているのかも知れません。

まとめると

僕がおもらしでしか抜けず、性行為に興奮しない原因は以下の三つであるという憶測を立てました。

  • ポルノ誘発性勃起障害
  • ハーマトフィリアである可能性、そしてその性癖の対象の狭さ
  • 女性に対するコンプレックス

僕の憶測が正しいなら、性癖に関して自力での矯正はほぼ不可能です。医者の世話になった方がいいでしょう。

唯一希望があるとすればロリものと男の娘ものです。確実に何かしらのエロスを感じてる大枠でのジャンルなのでもしやるならこの2点からアプローチをかけるのもいいでしょう。ただ、労力と気力がもう持ちません。というかどの道異常者じゃねえかよ

最後に

今回僕は何で性癖を矯正したくなったのでしょうか。そう、普通になりたかったからです。普通になりたい。本当に。

普通になるってなんなのか。多分それは僕の僕たる部分を全て排除すれば何も無い普通の人になるのでしょう。異常なところをとっぱらって足りないところを埋めれば普通になれます。でも、普通に近づこうとして僕の僕たる部分を排除するというの、ただの自傷行為なんじゃないかと思いました。オナネタごときを普通の人に合わせようとしたって僕の他の足りたいところも異常なところも治りやしません。あとシンプルに苦しいです。普通になりたいという漠然とした目標であんまり興奮しないもの見ながらちんちんをしごき続けるの苦しいですよ本当に。

普通って何?という客観的基準が無いのにひたすら普通になりたいと願い行動するの、もうただの自己嫌悪から来る自傷行為ですよ。僕が僕である以上何かしらは足りないし何かしらは異常です。多分僕はそれが人よりはるかに多かったのでしょう。

皆さんは無理に性癖を矯正する必要は無いと僕は思います。苦しいだけでした。

-終-

SNSを絶ってみる

ご無沙汰しております。周回遅れでDEOCOで体を洗っているalpcon(あるこん)です。

社会人になって最早1ヶ月以上が経過しました。会社の愚痴やら絶対転職しようと思っている話やら色々話すこともありますが今回は直近のお話です。

新型何某ウイルス、流行ってますね。僕は自粛とやらの影響でゲームセンターに行けなくなり趣味が消滅しました。致し方のないことでしょう。ですがそんなことが問題では無いのです。

インターネットが不快過ぎる!本当に。全国民がヒリヒリしているので毎日タイムラインやら何やらが地獄の様相であるのは恐らく僕に限ったことではないでしょう。なんでもない発言でも見ててイライラすることがすごく多くなりました。

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別の記事でインターネットで苦しんでるなら距離を置いてみるのもいいかもしれませんね、なんてヘラヘラと語っていた僕ですが、「じゃあそれって本当なの?」となりました。こんなこと言ってる奴がインターネット絶ちをしてないのは説得力に欠きますよね。そもそも僕の発言は誰も聞いちゃいないし説得力もクソもありませんが。

以前オタクと雑談してる時に「丸一日インターネット全く無しで過ごしてみたらどうなるんだろう」という話をした時に「なんかのタイミングを見つけてやってみたいよね」なんて話になりました。アナログな娯楽って何だろうという方向性の話にはなっていました。 しかし今仕事で必要だったり外出自粛(自粛って言い回し死ぬほど嫌いなんですけどね)の影響で娯楽が極端に減っているのもあるので完全なインターネット絶ちをするのはハイリスクです。ですのでSNSを開かないという縛りで生活してみることにしました。そもそもの目的はインターネットの不快感を遮断することであり、娯楽を全部消すということでは無いので今回の遮断対象はTwitterと5chと決定しました。LINEやらdiscordやらは遮断はしていません。要は意図しない他人の発言でフラストレーションが溜まる環境を一時的に消すというチャレンジです。実際にやってみてどういう心境や考え方の変化が自分に生まれるのかという実験でもあります。

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経過日数とその日の様子をここから書いていきます。お付き合い下さい

1日目

朝6:00に起床してまずTwitterの通知が来ていたので条件反射で開いてしまいました。この時点で失敗、というのは流石に哺乳類としての尊厳があるのですがこの通知はフォロー通知だったのでフォロバだけして即Twitterを閉じました。来ている通知を条件反射でクリックするようになってしまっていた自分に何より驚きましたね。

現在新人研修中の僕がいる職場は仕事さえ片付いてしまえば基本的にやることが無い時間が続くので普段であればTwitterに常駐していますがそれをとっぱらったのでまあなんとも暇でした。オンライン麻雀のアプリがあるのでやろうかと思ってしまいましたが1局やる最中に仕事が出現したら困りますものね。 普段通り職場のおっちゃんと食っちゃべって18:45くらいに退勤しました。

夕飯に必要なものの買い出しをしてシャワーを浴びてダラダラして寝る、という感じになりましたが今のところSNS消滅による大きな影響は出ていません。適当にゲームをやって暇をつぶして寝ているあたりもいつもと大して変わらない感じでした。初日には大きな心の変化やら不具合は特に見受けられず、平坦な一日を終えました。

2日目

朝起きて特に問題なく会社に向かいました。ただ、ここに来て「Twitterの通知が気になる」という感情だけ出てきました。恐らく来てはいないのでしょうけど基本的に朝起きてすぐTwitterの通知を確認していた人間だったので習慣化してるんでしょうね。

時期が時期だから、というのは大きいのでしょうけどこんなことがあった、とかこんなことをした、という目新しい出来事がないので言うことがない。仮にTwitterが手元にあったとしても僕は情報を一方的に受ける側に回るのです。自分にやることがあってそこにリソースが割けるなら受ける情報量も減り不快感の総量も減るのかな、なんてことを思いました。

午後になり仕事が暇になると急激に苦しくなりました。やることが欲しい。僕が何をしたのかと言うとアズレンに1ヶ月ぶりにログインしました。麻雀はある程度画面を見続ける必要があるのでそうでないゲームが欲しいんです。スマホの。 シャニマスはやることがないです。今

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ちゃんと仕事しろ❗とか言われるかも知れませんが職場の人も音出してよく分からんパズルゲームやってるし昼寝してる人もいるしこんなもんです。無理やりTwitter排除してるんだからこうなるのも致し方なし。

あと職場がそういう環境なせい(人のせいにするな)なのも相まってタバコが1日1箱ペースに増えました。いつでも吸えるんだもん仕方ないぢゃん…

退勤してからは家に帰りオンラインおしゃべりをしてから普通に寝ました。

3日目

朝は会社に遅刻しかけたので物事を考えている余裕はなかったです。疲れが取れてないのか分かりませんがとにかく毎日体が重いです。最近。

SNS(主にTwitter)から離れるチャレンジが折り返しに来て思ったのは"不快にはならなくなるが楽しいことも無くなる"と言うことでした。「フッ(0.3秒)(そんなに笑ってはいない)」くらいのウケ方をするような内容でも生活にあるとないとでは違うんだなといざ離れると思いますね。

ただ、Twitterが無いことに対する慣れみたいなのは出てきます。

4日目

眠すぎて朝歩いてる途中本当に目が開きませんでした。物理的に。

この日あたりから急に虚無が襲ってきました。「意味あんの?これ」「一生インターネット引退してろ」なんて自問自答しながら歩いてました。

恐らく読んでいて分かると思いますが、この記事もその日ごとに書き足して書き足して、と言った感じで書いています。そう、Twitterとやってる事が変わらないのです。その日あった出来事で人に話すほどでもないしさほど人に共有したいとも思えないけれどとりあえず口には出しておきたい、というレベルの話の捌け口が僕の主の目的だったのです。反応ありきでやってる訳では無いのでどこに書いても変わらないのですが。

夜くらいになって「Twitter戻れなくなるのでは?」という不安が出てきました。SNS断ちの大きい影響が無さすぎて自分が今まで何をしていたのかだんだんわかんなくなってきました。

5日目

金曜日です。いい加減飽きてきました。SNSのない生活に。つまらん 自分がインターネットにいる期間が長すぎて無い生活はやっぱりダメなんだなと、依存してんだなと改めて実感しました。 これ、「彼女と距離を置いたけどやっぱり君が必要だと感じた」みたいな感じでウケますね。いないので実際にそんな感じなのか分かりませんが。

本当は土日辺りもSNSから手を引こうかなと思っていましたが娯楽が死んでる(ゲーセンが開いてない!)ので流石にこの日で最後にしようと決意しました。

毒抜きは出来たのかなと振り返ってみると案外出来たようには感じます。基本自分から情報を取りに行かないと何も分かりませんので逆に不快な情報が入ってこないというのは当初の狙い通りです。

長続きしなかった要因に仕事が暇なのが大きいかなと考えています。研修中なのとこのご時世の影響でマジで暇なんです。本当に何か僕の暇を埋めるモノが必要なんです。

ただ、午後になり仕事が本当に(いつもに増して)暇になりすぎてマジで発狂しそうになりました。限界です。 人は弱いです。僕はスマホの「禁止」フォルダを解放しました。

総括

SNS禁止縛り、割と毒抜きはできると僕は思いました。 ただやりすぎると暇で発狂しそうになるのでそこだけ難点です。

次回「1日通信設備禁止縛り」でお会いしましょう(本当にやるのか?)

僕とインタ〜ネット

自販機の缶コーヒーがhotになって久しいですね。ブログより卒論を書くべきなalpconです。

ここへ来ている時点で皆さんはインターネットに接続されていますね。近年ではもうインフラのひとつと化したインターネット、皆さんはどのようにしてハマり始めたのでしょうか。というかこの質問自体が愚問で中学生や高校生、あるいは小学生の頃からインターネットが既に四肢の一部のような存在になっていた方もいておかしくないと思います。 今回はそんな僕のインターネット遍歴と付随して思うことをつらつらと書いていこうと思います。 書き終えてから自分の文を見返すと僕がいちばん嫌いな「上から目線の物申し」みたいになってるところが多くて嫌になってるのですが、あくまで僕の経験に基づいた主観でありしっかりとした論ではないと言うことを念頭に置いて目を通してみてください。

太古の昔

小学生の頃でしょうか。パソコンに初めて触れたのは。父親がPC版の信長の野望をやっているのを脇からチラチラ見ていたことだけはぼんやりと思い出せます。ブロードバンドって単語が当時かっこいいな〜とか少年心で考えてましたね。ブロードバンドって今死語ですよね。だってそれはあって当然と思われているじゃないですか。 母親が在宅で仕事をしている関係上、常にリビングにはパソコンがある状態でしたが、小学生当時僕にインターネットを使う用事はありませんでした。本当に。低学年の頃はDSやらWiiやらをやって過ごし、高学年の頃は中学受験の勉強に勤しんでいた(当社比)ので。そんなこんなで僕のインターネットとの出会いは遅かったように思えます。 僕が中学受験の塾に通っていた頃小学校が同じだったやつがたまたま塾にひとりいて、そいつと一緒に電車で帰る時毎回おもしろフラッシュの内容を語りで聞かされてました。今同じことをやられたら寒気で死んでしまいそうな行為ですが小学生の僕と彼にとってはめちゃくちゃ面白い時間だったのだと思います。

スマートフォンの登場

老人アピールをしたいわけではありませんが、僕が中学生になったばかりの頃はまだ世間、というか学生にはガラケーが主流でした。チャリ走やりませんでした?Flashの。ケータイにプリインストールされていたルールも知らない体験版の麻雀ゲームで鳴きまくったりしませんでしたか?ガラケーの写真加工機能で友達の写真に変な文字入れたりしませんでしたか?僕はやっていました。

だいたい僕が中学2年生あたりになった頃スマートフォンが学生レベルにも流通するようになりました。買ってもらえなかった子(僕もそうでした)はiPod touchで代用みたいなのが主流でしたね。 スマートフォンが流通する前の我々でインターネットをどっぷりやってる層ってあんまりいなかったように思えます。良くてケータイのブラウザでエロ動画漁ってるやつくらいかな?みたいな感じでした。僕も例外ではなく、家でごくたまにパソコン触る時に動画を見るくらいの使い方しかしてませんでした。そんな我々にとってスマートフォンの登場はもう革命ですよね。ありとあらゆる娯楽が文字通り手中に収まっているのですから。Flashゲームでドット絵棒人間を操作せずとも同レベルのミニゲームアプリはごまんとあります。動画も見れるし調べ物もお手の物。こんなものがうら若き中学生の手に入ってはインターネットの深い海にどんどん沈んでいく一方ですよね。 僕のインターネット遍歴はスマートフォンの入手と同時に始まると言って差し支えないでしょう。時系列順に僕のインターネットライフを書いていこうと思います。

Twitter

Twitterを全く持ってやっていない人って割と稀なんじゃないでしょうか。昔は「○○なう」なんて言い回しをするのが主流?なんてそんなレベルだったのが想像も出来ないくらい人々に使われるようになっていきましたね。誰目線だ? 元々僕は自分の意思でTwitterのアカウントを作ったわけではありませんでした。東日本大震災があった際、親に「メールはサーバーがダウンして連絡が取れなくなるから他のサービスで連絡を取れるようにしよう」とのことでTwitterのアカウントを作らされたわけです。当然リア垢という扱いです。まずこの時点で違和感があると思いますが、登場LINEは"まだ"流通していません。当然連絡手段はメールでした。そしてこれは今となっては想像しにくいと思いますが、「リア垢」なんて概念はありませんでした。そもそもTwitterがオタク向けなんて触れ込みも無いしアカウントを複数持つことも現代と比べたらレアケースだったと思います。

スマートフォンを持ち出しインターネットライフを初めてからしばらくし、誰に吹き込まれたのかも思い出せませんがオタクアカウントを作りました。こういう時代のインターネットの使い方の話は"黒歴史"なんて言って恥じる人が多いと思います。僕も例外ではありません。今とはかけ離れた使い方をしてたと思います。オタクアカウントの内訳がだいたい太鼓の達人だったのも相まって地獄の果てのようなインターネットユーザーの一員として生活してました。見知らぬオタクとある程度共通の話題について話すことの楽しさをここで感じたのだけは確実でしょう。

中学生当時の自分は何をインターネットで感じてたのでしょうか。多分何も考えてなかったと思います。というか、考えさせられるような深い話が自分のところに流れてこなかったからだと思います。炎上なんて単語もさほど聞かずに脳死で楽しんでいたのでしょう。ある意味正解だと思います。息抜きとしての存在意義はおおいに達成されている。 そんな感じで高校に上がってもTwitterライフをしていました。そしたらある日親にネットをやりすぎとの事でTwitterをやめろと言われアカウントを削除するところまで追い込まれ、突如████というインターネットユーザーは消滅することになるのです。当時はめちゃくちゃ悲しかったですね。今同じことをやられることはまずありえませんが、突然あまたのフォロワーの発言を見ることも自分が何か言うことも禁じられるのはなかなか辛いものです。

高校1年の後半はそんな感じで虚無になりながらニコニコ動画で音MADを見たりしてました。笑いのツボが小学生レベルなので人の顔とか声がひん曲げられてるのを見ると爆笑してしまうタチだったのでね。あとこの頃淫夢と出会いました。音MAD経由で淫夢音MADに行ってそこから元ネタを辿った結果見つけた感じだと思います。正直今現在のこのレベルまで肥大化するコンテンツだとは思っていませんでした。

2ちゃんねる

そんなこんなでインターネットで時間を浪費しつつ過ごしてるうちに僕は海外に行かなきゃいけませんでした。ここら辺の話は別記事https://alpcon.hatenablog.com/entry/2019/11/02/120154で詳しく書かれていますが、僕は満足にインターネットが使えない状態になりました。 そんな僕に一つだけ残されていた道があります。2ちゃんねるです。2ちゃんねるは貧弱なブラウザでも見ることが出来ました。この時に見始めた、というのではなく前々からiPod touchにBB2Cという専ブラを入れて忍法帖のレベル上げに勤しんでたりしましたが他の娯楽があったため敢えて2ちゃんねるを見る必要がありませんでした。ですが海外に来てやることが無い僕は2ちゃんねるを見たりして暇つぶししていました。海外IPなので当然書き込みは出来ません。が、海外にいる僕にとって日本の情報を得る貴重なツールにはなっていました。

多分僕のインターネットにおける信条とか思想はここら辺の時期に2ちゃんねるを見まくっていたことで形成されたところが大きかったりします。

僕は政治の話に関わりたくないし政治に対して関心を向けたくありません。今もそうです。なぜなら、2ちゃんねるでは永遠に醜い政治論争が行われていたからです。ただ議論をしているなら別に問題は無いと思います。ですが僕が目の当たりにしたのは右派/左派のレッテルの貼り合い、突拍子もなく出てくる特アの話と"喧嘩の材料に政治を使っている"ようにしか見えませんでした。これが2ちゃんねる内だけなら考えも改めましたが今現在のTwitterを見てみるとどうでしょう。同じです。一生僕は政治の話に関わりたくない。不快だ。

僕はニュース系まとめブログがめちゃくちゃ嫌いです。アフィブログと言った方が伝わるでしょうか。まとめブログに関する騒動に関してはインターネットで調べれば出てくると思います。そちらを参照願いたいです。最近話題のステルスマーケティングなんてのも昔まとめブログ周りで問題になったことがありますよ。 それ以上に僕がまとめブログが苦手な理由は文化的な理由です。 なんJ板という名前はよく見るかと思います。僕は野球の話が分からないのでなんJ民にはなりませんでしたが、なんJ内の内輪ネタなんてのは人気が高くまとめブログの格好の餌になっていたように思えます。まとめブログはアフィリエイト収入によって成り立っているものです。閲覧者数を増やし広告表示回数を増やすことが主目的です。するとどうするのか?より過激な内容を取り上げるようになります。 なんJがまとめブログに取り上げられる際メインのコンテンツは大抵スレ内の"レスバトル"という煽りあいになります。定期スレとか野球系のもあんのかな?見ないから分からないけど。レスバトル、煽り合う両人共に冗談でやっているならまあまあ面白いのですが便所の落書きに集う人間にまともな感性を期待してはいけません。多分マジでやってるのです。その発言を過激にまとめたものがまとめブログに転載され、それにハマった人間がインターネットをやるとどうなると思います?どこ行っても中途半端な猛虎弁で馬鹿の一つ覚えみたいに煽りしかしない人間が量産されます。色々な騒動を調べた時にキモイな〜ってなったことより、今現在インターネットを眺めた時に見た光景が不快すぎて本当にまとめブログが嫌いになっています。かなり主観で語っていますが、大ハズレではないんじゃないかなと思ってます。

自分で語っていてかなり偏った考えになっているな、と思いますがここら辺の価値観は2ちゃんねる由来のものです。ただ、2ちゃんねるは僕を偏屈にさせただけのものではありませんでした。専門板とかのスレではテンプレなんてのがありますが、どこのスレのテンプレにもだいたい「荒らしはスルー、荒らしに構う奴も荒らし」とありました。これ、僕はインターネットの金言だと思っています。Twitterでもなんでもそうですが、いちいち嫌なものに構わなきゃいいのです。2ちゃんねるの専ブラならNG機能があります。Twitterならブロックもミュートもあります。スルーすりゃいいんです。 今や陰湿で悪どいイメージがある2ちゃんねるですが、僕の中ではインターネット経験値を積ませてくれた場所なのかなと捉えています。ヲチスレとか特定祭りみたいなのは参加してませんでしたが、それなりに色々考えさせてくれたりしましたし時事ネタじゃなくとも色々な情報を得れたりしていました。まあ価値観はおかげでグッチャグチャにされたような気はしますが。 だいたい高校の3年くらいまでは2ちゃんねるをよく見てました。音ゲー板とニュース速報(嫌儲)をよく見ていました。

高校の3年くらいまでの僕は2ちゃんねるニコニコ動画くらいしか文化を吸収していなかったように思います。アニメもほとんど見ずに(見れずに?)高校生活を過ごしてたのでそこら辺には疎くありましたがインターネットそのものには浸かっているので今こんなのがあるらしい、くらいの超ぼんやりとした情報だけ知ってるような乾いた人間として高校を卒業していったんじゃないかと今は考えています。

Twitter2

僕は大学生になりました。大学生になってからTwitterを再開し、オタクアカウントたる今のアカウントでの活動も始まりました。

中学生の時と大学生の時でTwitterを使う際大きく異なることがあります。財力です。中学生やら高校生の僕はアルバイトができない環境下だったので、人に会おうにも会えずまた一応やってるという属性のゲームも満足にやり込めずに中途半端な状態での活動を強いられていました。ですが大学生となると話は変わってきます。大学生になってから何人のフォロワーと会ったでしょうか。それまでリアルで会った人数が0だったので、初期の僕はコミュニケーションが非常にたどたどしい感じでした。しかしまあ今となっては初対面の人とかでもそこまで違和感なくくっちゃべってたりします。あるこんとして活動しはじめた当時は僕がやってるゲーム(要は音ゲー)関連だけでフォロワーを構成していました。しかし今はどうでしょう。もうよく分かりません。何の人?みたいな人もいますし、前までこういう接点があったけど今はもうないみたいな人もいます。でも、それって面白いことだと思ってます。なんかよく分からない文化圏の人で僕が不快にならない発言をしてるのであれば色んな文化圏の人の話が聞けてることになるじゃないですか。あちらがどう思ってるのかは知りませんが、僕は人の話を聞きたいタイプの人間なのでぐっちゃぐちゃでカオスなタイムラインもまた一興だと思いながらTwitterライフを送ってます。

今、Twitterをやる上で嫌なことは正直そこそこあります。爆発的に嫌なことは昔たまに起こりましたが最近はありません、どちらかと言うと小さいのが蓄積する感覚です。僕のTwitter嫌なこと集〜なんて言ってグサグサとその内容を列挙していけば恐らくフォロワー全員が対象になりかねないです。人に対して攻撃的でありたいとは毛頭思っていないし、事を荒立たせるのが嫌なので今ここで僕の発散のためだけに嫌なことの詳細を書くのは避けます。ただ、僕が最近思うのは「他人に対して関心が高すぎる人が多すぎる」ということです。見知らぬ他人の発言を袋叩きにしてたりなんだったりみたいな状況が毎日起きているような気はします。 Twitterで嫌なことはありますが、そんな時は別のものを見たりします。2ちゃんねるだったり、よく分からんサイトだったり、Amazonでウインドウショッピングをしてみたり、作りもしない料理のレシピを見たりしてます。僕らはTwitterをする上で不快になってまでそうし続ける必要は無いのです。上手く付き合うことが1番だと思います。時には離れてもいいのです。インターネットに飲み込まれないように使いこなせればSNS疲れなんて言って精神を蝕まれることもないと思います。中学生のころ何も考えず好き勝手やっていたからそう見えるのかもしれませんが、近年のTwitterは本当に精神に毒なことが時折流れてくるように感じます。啓発ができるようなご身分ではありませんが、うまい付き合い方を個人で模索すべきだとは思います。

好き勝手ベラベラと書いた結果割ととりとめのない記事になりました。皆さんも自身のインターネット遍歴とかを振り返ってみるのもたまには楽しいかもしれませんよ。